今年もあっという間に12月になりましたね。
12月のことを【師走(しわす)】と表現することは多くの方がご存じだと思います。
この【師走】という言葉は【師となるような偉いお坊さんでさえも忙しく走りまわる様子】を表し、12月がとても忙しい時期であることを意味します。
あなたは、一日を何となく過ごしたり、気が付けば一日が終わっていた!なんていうことはありませんか?
『時は金なり』という言葉があるように、時間を無駄にすることなく毎日を有意義に過ごしたいものです。
突然ですが、あなたに『不思議な口座』をご紹介したいと思います。
この『不思議な口座』には86,400円が入っています。
もしこのお金を全部使ったとしても、次の日になるとまた86,400円が振り込まれているのです。
ただし、このお金を使わずに貯金をしようとしても86,400円以上は貯まるがありません。
あなたは、このような口座を手に入れたら、お金をどのように使いますか?
86,400円以上は貯まる事がありませんが、全部使ってもまた翌日には振り込まれるのですから、とりあえずは毎日できるだけ使い切ろうとしませんか?
この【86,400】という数字、じつは『時間』のことを言っているのです。
24時間を【秒】という単位に換算すると、一日は『86,400秒』になります。
人は生まれながらにして、【生まれた環境】・【性格】・【能力】などが違いますので、残念ながらみんなが平等ではいられません。
しかし、『時間』だけは平等です。
有名自働車メーカー《ホンダ》の創業者である本田宗一郎さんの言葉にも、
- 「時間だけは神様がみんなへ平等に与えて下さった。これを有効に使うかはその人の才覚であって、うまく利用した人が世の中の成功者なんだ。」
とおっしゃっています。
人には寿命があり、もちろんそれは人それぞれに違いますが、一分一秒という時の流れは間違いなく平等に訪れます。
しかし、その時間の使い方、考え方、行動の違いによって生き方に大きな差が生まれます。
よく「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と言われます。
人はいろんな苦難や困難を乗り越えて、たくさんの苦労をしながら成長をしていきます。
この【苦難】や【困難】などの【難】があるのは大切なことなんです。
【難】が【ある=有る】ということは、二つを合わせると【有難い=ありがたい】となるのです。
ですから、苦難や困難があることは、むしろ私たちにとっては【ありがたい】ことなのです。
反対に、苦難や困難といった【難】が無い状態は【無難=ぶなん】となります。
あなたは、【難】がまったく無い常に平坦な【無難な人生】をどう思いますか?
もしかすると「苦労なんかできるだけしたくない。平穏無事が一番だ!」と思うかもしれません。
しかし、無難な人生では【平穏無事であることのありがたさ】にも気が付かないのではないでしょうか?
苦難や困難があるからこそ平穏無事であることに「ありがたい」という感謝の気持ちが芽生えるのです。
人は脚を伸ばしている状態でジャンプをすることができません。
次々に迫る【難】に押し潰されそうになり【しゃがんだ状態】になっても、それに打ち勝った時には【縮んだバネが一気に伸び上がる】ように高くジャンプすることができるのです。
じつは、仏教をお開きになったお釈迦様にも【難】がありました。
お釈迦様にはたくさんのお弟子様がいて、その中の一人に提婆達多(ダイバダッタ)という方がおられました。
提婆達多はとても自尊心が強く、「自分こそが教団を率いていくべき人物である」と思っており、ついには教団を乗っ取ろうと考えました。
そして、お釈迦様へ、「自分に教団を譲って下さい。」と申し出たのです。
お釈迦様は、その申し出を断りました。
すると、提婆達多は自分の思い通りにいかないことに腹を立て、
- 霊鷲山(りょうじゅせん)という山から、お釈迦様に向けて巨大な石を転落させる
- 象にお酒を飲ませて、暴れまわる象にお釈迦様を襲わせる
- 自分の爪に毒を塗り、お釈迦様に襲い掛かる
など、何とかしてお釈迦様を殺そうとしましたが、すべて失敗に終わりました。
仏教では、師を殺そうとすることは『五逆罪』の一つにあたる大罪です。
その報いを受けた提婆達多は、大地が割れてそのまま無限地獄に落ちたともいわれています。
しかし、お釈迦様はこんな提婆達多であっても「提婆達多のおかげで今の私があるのだ、私は彼に感謝をしている」とおっしゃいました。
そして、お釈迦様は「提婆達多はいずれ【天王如来】という仏になるだろう」と宣言をされました。
あなたも【苦難】や【困難】にあった時には「今、自分は成長できるチャンスなんだ!」と前向きに考え、それに立ち向かってみて下さい。
苦しいことがあっても、あきらめなければ、お尻を地面につけなければ、次は高くジャンプできるはずです。