あなたは、法事の時にお坊さんが数珠をジャラジャラと摺(す)っているのを見たことがありませんか?
お堂内に数珠を摺る音が響き渡り、厳かに法要がお勤めされます。
お坊さんが常に持っている数珠というのは仏様に礼拝するための道具であり、また真言という仏様の言葉を唱える時に何回唱えたかを数えるといったように、さまざまな使い方があります。
そのような数珠を、なぜお坊さんはジャラジャラと摺っているのか不思議に思いませんか?
今回は、【なぜ数珠を摺るのか?】ということについて解説しようと思います。
結論から先に言いますと、数珠を摺るという行為は『仏様にお願いをする』ということなのです。
そして、そのお願いは、
- 他者に向けたもの
- 自身に向けたもの
の二つに分けられます。
ご本尊様に向けて数珠を摺る場合、【利他行(りたぎょう)】といい『自分自身のことよりも他者の幸福をお願いする』ことです。
例えば、
- 葬儀の場合であれば「故人が無事に仏様の世界へ渡り、仏道修行をして悟りの境地に達してもらいたい」
- 祈願であれば「願主のご家族が健康でいられますように」
といったように、他者の幸福のためにご本尊様に対してお願いするのです。
他者の幸福のための数珠の摺り方は、『摺り終わる時は、最後に右手を前へ押し出すように摺る』のです。
逆に、自分側に向けて数珠を摺る場合、【自利行(じりぎょう)】といい『自分自身の修行のため』なのです。
例えば、
- 僧侶が修行をしている時には「無事に修行が成満(=満了)できますように」
- 朝のお勤めの時には「今日も無事に、一日を平和で有意義に暮らせますように」
といったように自分自身のためにご本尊様にお願いするのです。
自分自身のための数珠の摺り方は、利他行とは逆で『摺り終わる時は、最後に右手を手前へ引くように摺る』のです。
このように、法務の目的に合わせて数珠の摺り方を変えているのです。
あなたが【お坊さんが数珠を摺る姿】を見るのは、きっと『利他行』の時です。
お葬式や法事の時には故人のために、諸々の祈願の時には願主のために、お坊さんは心を込めて数珠を摺っています。
宗派によって数珠の扱い方は違うと思いますが、あなたも今度お坊さんの数珠の扱い方を見てみると面白いと思いますよ。
あなたがもしも珠が108個ある『本連念珠』と呼ばれる正式な数珠をお持ちなら、合掌の際には先述のように数珠を摺ってみましょう。
法事でお寺に行かれた際には、お焼香の時に故人の冥福を祈り『利他行』の摺り方をします。
あなた自身のことでが何か悩みを抱えているのであれば、本堂へお参りをし、ご本尊様の前で合掌をして『自利行』のやり方で数珠を摺って頂くとよいと思います。
もしも持っている数珠が『略式念珠』と呼ばれるような数珠で摺ることができない場合は、数珠を手のひらの中に入れて合掌をすれば【数珠を摺る】ことと同じ功徳が得られると言われています。
しかし、そもそもなぜ数珠を持つのでしょうか?
これは、仏教をお開きになったお釈迦様が【ある村を疫病から救った話】が由来になっています。
その昔、ある村で疫病が猛威をふるい、村中の人々が次々と病に倒れてしまいました。
村人は何とかこれを食い止めたいと、お釈迦様に「どうしたら村が救われるのでしょうか?」と尋ねました。
すると、お釈迦様は、
- 「まずは疫病が消え去るように心から祈って【数珠】を作りなさい。それを手に持ち真言を唱え続ければ村人はきっと救われるだろう。」
とおっしゃいました。
村人はさっそく実行に移したところ、数珠の偉大な功徳でたちまち疫病は消え去り、村人も無事に救われたそうです。
このような言い伝えから、今でも仏事では数珠が使われているのです。
まずは、今度あなたがお寺へお参りに行かれる際に数珠を持って行ってみてください。
お寺におられるご本尊様は、先人たちから信仰されていた我々の心の拠り所でございます。
先人たちのように、数珠を携えてご本尊様にお参りするだけでもきっと心が落ち着くことでしょう。
また、私たち僧侶も皆様の心の拠り所となれるように日々精進してまいります。
仏事に関するご質問、お悩み事などのご相談、何でも構いませんので遠慮なくお声がけ下さい。