仏教では「〇〇をしてはいけませんよ!」という、さまざまな約束事があります。
この約束事を【戒律】といいます。
じつは、この【戒律】という言葉は【戒】と【律】で分かれています。
【戒】とは、悟りを開くために自分なりに努力するルールのことをいいます。
自分を制するための誓いみたいなものですね。
もう一つの【律】は、集団におけるルールです。
昔のお坊さん達は集団で行動をしていたので、円滑に活動するための決まりごとが必要だったのです。
【戒】は自発的なものですので、もし守れなくても罰則はありませんが、【律】には罰則があります。
今では【戒】と【律】を一つにまとめて【戒律】と言うのが一般的です。
インドから南に伝わった仏教を『南伝仏教』といい、タイやミャンマーといった東南アジア等では、今でもお釈迦様がいらっしゃった頃と同じくらい厳しい戒律を遵守しています。
昔のインドでは、男性僧侶には250個の戒があり、女性僧侶には348個もの戒がありました。
日本ではそれほど多くはありませんが、真言宗で大切にしている戒律に『十善戒』があります。
この『十善戒』とは、【華厳経】というお経に出てくる戒で、仏教における最も基本となる約束事みたいなものです。
仏様を信じる者にとって『生活する上での基本的な心構え』といったところでしょうか。
そして、この十善戒での十個の約束は、大きく三つに分けられます。
それは、
- 身体の働き
- 言葉の働き
- 心の働き
の三つです。
これらの三つの働きを真言宗では『三密』といいます。
十善戒の十個の約束とは、
- 【不殺生】むやみに生き物を殺傷しない
- 【不偸盗】物を盗まない
- 【不邪淫】みだらな男女の営みをしない
- 【不妄語】嘘偽りを言わない
- 【不綺語】無意味なおしゃべりをしない
- 【不悪口】悪口を言わない
- 【不両舌】二枚舌を使わない
- 【不慳貪】欲深いことをしない
- 【不瞋恚】耐え忍んで怒らない
- 【不邪見】間違った考え方をしない
の十項目となります。
いかがでしょうか?
一つ一つ考えてみると当たり前のことかと思いますが、これまでの自分自身を振り返ってみると、いくつか思い当たる項目がありませんか?
十善戒とは、ただ十の約束を守ればいい、ということではありません。
十善戒は、約束事のさらにもっと奥深くまで考えなくてはなりません。
例えば二つ目の【不偸盗】ですが、『物を盗まない』ことは当然として、それよりも《どうして盗むという行為が起こるのか?》ということを考えなくてはいけません。
物を盗むという行動は、【人を羨む心】から生じることが多いのです。
これは、物だけでなく、時間や労力、人の気持ちも同じで、私たちはいつも他の人が持つ何かを求めて苦しみ続けています。
十善戒の内容は、当たり前のことだとわかっていても、それを完璧に守ることができる人はほぼいないでしょう。
十の約束事をちゃんと守りながら自然に生きていけるのは、きっとお釈迦様くらいですよ。
煩悩にとらわれて迷いの世界から抜け出せない私たちには、なかなか難しいことです。
それでも理想を掲げ、多少なりとも意識をして暮らすこと、理想に近づきたいという思いを起こすこと、そういった姿勢があって悟りを求める心が生まれます。
悟りを起こす心のことを仏教では【菩提心】といいます。
菩提心を起こすことが仏教のスタートラインで、とても大事な第一歩なのです。
ですから、「十善戒なんて、守れないのなら無意味なのでは?」と思わないで、守ろうとする心に意味があると思って下さい。
その次に、実際に行動へ移してみるとさらによいと思います。
あなたもぜひ、まずは悟りを求める菩提心を起こしてみてはいかがでしょうか?