人が亡くなられて最初に迎える大きな回忌法要が『四十九日忌法要』です。
四十九日忌法要は、いよいよ故人が【仏様の世界】へ旅立つための節目となるとても重要な法要であり、親戚など多くの参列者を招いて執り行われます。
しかし、四十九日忌法要へ参列するにあたり多くの人が迷ってしまうことがあります。
それは、
- 現金を包む袋は【御霊前】なのか、それとも【御仏前】なのか
ということです。
あなたも今までにこのことで「どっちにすればいいんだろう?」と迷ってしまった経験はありませんか?
この記事では【御霊前】と【御仏前】について分かりやすく説明をしますので参考にしてみてください。
《四十九日忌法要に包むのは【御仏前】でよい》
四十九日忌法要に包んで行くのは【御霊前】と【御仏前】のどちらにすればいいのか、これは当院にもよく問い合わせが来ます。
結論から先に申しますと、四十九日忌法要に包むのは【御仏前】で構いません。
ただし、これは【御霊前が間違いである】というわけではありません。
仏事においてよくあることなのですが、【地域ごとの慣習】や【その寺(住職)の考え方】によって違いが出てきてしまうのです。
この【御霊前】か【御仏前】かという問題も同じで、地域や人によって解釈が違うのです。
《【御霊前】と【御仏前】の違い》
【御霊前】にすべきか、それとも【御仏前】がよいのか、これらを区別をするにはまず【それぞれの意味の違い】を知っておく必要があります。
まず【御霊前】ですが、これは字のとおり『故人の霊の御前』に供えるものという意味です。
故人の魂(=霊魂)は四十九日を迎えるまでこの世に残っており、まだ仏の世界(=あの世)へは行っていないとされています。
ですから、お通夜やお葬式の時には、『まだこの世にいる故人の霊魂』に対して【御霊前】を供えているのです。
次に【御仏前】ですが、こちらは『仏様の御前』に供えるものという意味です。
故人は、四十九日を過ぎたら仏様の世界に入られ、そこで【たくさんの仏様達の仲間入り】をして仏道修行に励みます。
ですから、すでに『仏様達の仲間入りをした故人』に対しては【御仏前】を供えるのです。
要するに、【御霊前】と【御仏前】というのは、故人が『仏様の世界に行かれたどうか(仏様達の仲間入りをしたかどうか)』で判断します。
《四十九日忌法要に包むのが【御仏前】でよい理由》
ここからは、当院が『四十九日忌法要は【御仏前】でかまわない』としている理由を説明します。
四十九日忌だけは他の回忌に比べて少しややこしいです。
故人が他界されて『ちょうど四十九日を迎える日』というのは、故人は【まだこの世にいる状態】なのか、それとも【もう仏様の世界に行った状態】なのか、ここの解釈が地域や人によって違います。
これが原因で《御霊前》と《御仏前》の両方の選択肢が出てしまうのです。
当院の場合、四十九日を迎えた段階で故人は【もう仏様の世界に行った状態】として考えていますので、「袋は【御仏前】でかまいませんよ」とお伝えしています。
では、本当の四十九日よりも前に法要を行う場合はどうなのでしょうか?
そもそも、四十九日忌法要というのは実際の四十九日よりも少し早めの日程で行うことが多いのです。
なぜなら、
- 法事は回忌にあたる日を過ぎない方がよい
- 土日や祝祭日の方が人を集めやすい
からです。
となると、「故人はまだ四十九日を迎えていないのだから【御霊前】でよいのでは?」と思うことでしょう。
そうなんです、本当はそれが正しいのです。
だから、「四十九日忌法要には【御霊前】を包むべきだ」という人もたくさんおられます。
しかし、仮に『まだ本当の四十九日を迎えていない』という場合でも、当院を含む多くの寺では『すでに四十九日を迎えたもの』とみなして法要をお勤めしています。
したがって、『故人はもう仏様達の仲間入りをしている』とみなして法要を執り行うわけですから、包む袋も【御仏前】でよいと考えているのです。
《まとめ:四十九日忌には【御仏前】を包みましょう》
四十九日忌法要は、故人が仏様の世界へ旅立ち『仏様達の仲間入り』をする大事な法要です。
本当の四十九日よりも早めに法要を行うことが多いですが、それは『すでに四十九日を迎えたもの』とみなしてお勤めをします。
当院では、四十九日を迎えた故人は【もう仏様達の仲間入りをした状態】として考えています。
したがって、現金を包む袋は【御仏前】でかまいません。
【御仏前】を包み、故人を仏様として敬い、心を込めてしっかりと供養をしましょう。