冬の寒さが少し和らぎ、春の訪れが感じられるようになりました。
3月といえば卒業シーズンになります。
コロナで大変な時期にもかかわらず無事に卒業を迎えられた方々には心よりお祝いを申し上げます。
私たち真言宗智山派の僧侶は、僧侶の資格を取るために、まずは一定期間の修行をしなければなりません。
ちなみに、修行の方法は、
- 真言宗智山派の総本山である【智積院】において、住み込みで一年間の修行をする
- 住み込みができない場合は、複数年に分けて必要な修行をする
という2つの選択肢があります。
私の場合は、修行生として住み込みで一年間の修行をしました。
ツラいこともたくさんありましたが、それも今となっては良い思い出、また貴重な経験として振り返ることができます。
そして、智積院では本年度も修行生が3月25日には卒業を迎えます。
僧侶となるための修行は体力的にも精神的にも大変厳しく、中途半端な気持ちで行うことはできません。
修行中には、【お経】【法要実習】【仏教学】などの講義を受け、それを何度も実践して僧侶として必要な基礎を身につけます。
一年間も俗世を離れて、仏様の教えに従い修行の道を進むことは、それ以前の暮らしとは全く異なります。
修行生には若者から年配の方までいて、それぞれの性格も違いますし、立場も経験も違う人たちが朝から晩まで生活を共にします。
そのような状況で一年間も修行を続けることの大変さは並大抵のことではありません。
一年を通じて修行生達は同じ経験をするわけですが、それぞれに感じるものはきっと違うでしょう。
真言宗を開かれた【空海】さんは、
『心暗きときは、即ち遇うところことごとく禍なり。眼明らかなれば途にふれて宝なり。』(引用:《性霊集》より)
とおっしゃっています。
これは要するに、心のあり方によって世界の捉え方は変わるということを意味します。
例えば、悩んでいる時や落ち込んでいる時は、いつも通っている帰り道が長く感じてしまいますが、自分の心が明るく澄んでいる時は、見慣れた景色がキラキラと輝いて『全てのものが宝物』に見えてきます。
私たちは悩んだり落ち込んだ時につい、原因は自分の外側にあると考えてしまいますが、じつは自分の内側、つまり心にあるのです。
心のあり方によって世界の見え方がまったく変わってくるのです。
私たちには様々な悩みがありますが、それらを一つ一つ解決していくことで『心のあり方』が変わり、その先には新たな世界が広がっています。
様々な悩みや試練というものは、全て『自身を成長させ、新たな世界を見せてくれるための糧』になるということですね。
もうすぐ新年度を迎えます。
新入生や新入社員の皆様には、新年度からは少し【心のあり方】を変えてみて、新たに開かれた世界へ羽ばたいて頂きたいと思います。
寄稿:金剛院職員K